大工道具・刃物の資料

越後三条の鉋

「永弘」鉋


初代永弘は永桶米太郎と言い、与板で河内庄次ノミ製造工場に弟子入りしてから三条に来て、三条の鉋鍛冶の基礎を造った人です。
以来、三代まで続き、四代は、名前を地元の問屋が継承しています。

永弘の作品を掲載します。
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その1、永弘初代二寸の説明
1、厚みが非常に薄い。
2、火花試験では白紙系です。(玉鋼と白紙は同じ火花が出ます)
3、非常に古い裏金付です。
その1、永弘初代二寸

その2、永弘初代寸八の説明
1、厚みが非常に薄い。
2、火花試験では白紙系です。(玉鋼と白紙は同じ火花が出ます)
3、非常に古い裏金付です。その1と同じです。
その2、永弘初代寸八

その3、永弘初代寸八の説明
1、厚みが非常に薄い。
2、火花試験では青紙系です。
3、非常に古い裏金付です。造り込みはその1、その2と同じように薄いですが、鋼は青紙系なので新しい鋼を使い始めた頃の作品と思います。
その3、永弘初代寸八

安来青紙鋼については次の記録があります。
「英国製の大砲を削るバイトの刃で、一種の高速度鋼が、砲兵工廠から屑鋼として出たものを、初代永桶永弘が使っていたので、それを安来鋼の工藤治人博士に送り、これと同じ鋼を作るようにしたものが青紙である。」
青紙の原点は永弘にあるのですが、上記の、その1、その2が白紙系と言う事は高速度鋼を使い始める前に玉鋼を使っていた最初期の作品だと思います。

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